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WEB消防談話室

日々思うこと(過去分)



20041215
リニューアルについて

サイトのリニューアル作業を進めている間に「リニューアル」の意味、
メリット、デメリットを考えてみた。
(ここで言う「リニューアル」は「更新」ではなくてサイトそのものの「再出発」の意味)

デメリットはすぐに思いつく。サイトの歴史や過去の蓄積がなくなってしまうことである。
しかし、メリットはなかなか思いつかない。考えれば考えるほど、リニューアルというのは
せっかく育ったサイトをゼロにしてしまう、とてももったいないことのように思えてきた。

しかし、世の中を見てみると、定期的にリニューアルする店舗や、
外見や中身は全く同じなのに名前をしょっちゅう変える店もたくさん存在する。
そうしたことに否定的な意見を持っているかと言われると、少なくとも僕は持っていない。

「ゼロにして再出発」ということも、よく考えれば否定的な意味しか持っていないはずなのに、
何となくいい意味を感じてしまう。

今回サイトをリニューアルしたことで何が一番良かったのかと言われると、「すっきり」したことである。
過去の蓄積を失ったことを「すっきり」したと感じているのだ。何となく、新しいサイトに
「手アカ」のついていない「キレイ」な印象を持っている。

これが「水に流す」という昔からの日本の文化なんだ。と気づいたのが今日のこと。
「水に流す」という言葉は喧嘩のあとなどによく使われるが、それ以外の場面でも使われる。
要は「振り出しに戻す」または「全てを削除してゼロから出発する」ということ。
そうして始まった新しいものに「過去を失った」否定的な評価をせず、「新品のキレイな」
肯定的な評価をするのが我が国日本の文化なのだ。リニューアルに明文的なメリットなどいらないのだ。

と、リニューアルの積極的な理由がはっきりしたところで、今日も新サイト作成に取りかかっている。




20041223
リニューアル作業終了。今回は前サイトよりも少しだけデザインを気にしてみた。
ウチのブラウザではきちんと表示されているが、他のブラウザではどうなのだろう。

20050107
AED(カウンターショック)を市民の手に委ねようという計画(PAD)が進行中だが、広報がダメ過ぎ。
これは、実際の講習会を行うべき消防機関が、PADやAEDを理解できていないため。

広報や講習会を行っても組織にとってメリットはない。自らの知識のなさが暴露するという
デメリットだけで、広報活動に結びつくわけがない。

20050108

例えどんなに順調に景気が回復しても、日本の致命的な債務は返済できない。
公務員の給料とか、公共事業とか、そんなことでどうにかなるものでないことは、皆何となく感じている。
コツコツと長年にわたってやってきた借金は、利息を考えるとコツコツと返しても終わらない。

問題は、この債務を本気で何とかしようとするグループが政権をとったとき。
選択枝は2つ。とんでもない桁のインフレを起こすか、経済を一度破綻させるか。

どっちになるんだろう。

20050113
まさか正体がバレるとは思わなかった。
とりあえずなぜバレたかの原因を考えないと、またバレる。

あんな小さな携帯用画像から「あ、ウチの車両だ」と気づく救助隊員がいた。
そして、救助工作車も救急車と同じでペイント以外は同じだろうと考えた自分がいた。

この2つが原因。でも、それだけじゃ正体には結びつかない。
「その工作車の写真を送ってくれた知人と、その救助隊員の所属が同じだった」
これが最大の原因。運が悪かった。

対処法:日頃の行いを改め、運を味方に付ける。

20050121
ボランティア

被災地域で復旧活動をできる人間は多いほど良い。
だが、ボランティアとして駆けつける多くのヒトは、ほとんどが素人である。

現地での活動予定を3日とするならば、その期間アルバイトでもして、
それに現地までの旅費を足した金を寄付し、プロを雇ったほうが効率がいい。

「ボランティアをしたいのですがどうしたらいいですか?」ってのは論外。
真に優秀なボランティアは、プロが行うボランティア。
大規模な災害が起きると、土木や医療の専門家の中に、現地に赴く者がいる。

彼らは、勝手に現地に入り、必要なところで技術を提供し、勝手に眠り、勝手に帰る。
もちろん、自分に必要な食料は自分で用意する。

彼らをボランティアに駆り立てるのはプロの技術者としての倫理と誇り。
生きがいや自己啓発を求めて自分のために赴く素人ボランティアとはワケが違う。

20050202
他人は自分よりも優秀に見える。
これは、誰でも他人の前では自分を良く見せようとするため。
自分も当然他人の前ではよく見せようとしているが、それが本当の姿でないことを知っている。

「よく見せている他人」と「飾らない自分」を比べたら、他人のほうが良く見えるのは当たり前。

受験時代を思い出してほしい。ほとんどの人は偏差値40〜60の間に収まる。
仕事の成績だって絶対値でなく偏差値に直せばほとんどの人がこの間に納まる。

何をするときにも「自分は平均値」をキーワードにすると、物事を考えやすい。

20050209

「好き」の反対は「嫌い」でなくて「無関心」だ。という命題はよく用いられるが、それは無い。
自分が嫌いなヒトと自分が関心のないヒトのどちらと一緒にいたいかと言われれば無関心なヒトである。

なぜこの命題がこれほど広まったかを今考えているが、おそらくは多くのヒトにとって意外性のある
命題であり、さらにとてつもなくデタラメな解説でなかったことが原因。

意外性のある命題は人々のマニアック心を満足させ、知的好奇心を刺激するため、
その真偽の検証がおろそかになる。注意が必要。

20050216
地域MC協議会としては、すべての救急隊員を病院前医療スタッフとしてMC体制下に置きたい。
そして、窮極的には消防隊員も救急支援要員として囲みたいと考えている。
協議会の主要な構成員は医者であり、彼らはコメディカルスタッフが
医師の管理を離れて活動することを好まない。何とかして、病院前救急も管理下に置きたい。

対抗勢力は各市町村の消防本部。救急に携わっていない幹部職員から見ると、
自分たちの部下の一部である救急隊員に、外部からの影響力が迫っているように見える。しかも、
彼らの多くはここ数年の病院前救急の変遷に興味を持って来ず、今、何が起きているのか理解していない。

地方に行くほど、消防の幹部職員は年数だけでなった者が多く、知能が低い。
彼らの知能で理解できることは「他所者が部下に対して大きな影響力を持っている」程度。
そして、残念なことに倍率0.8の時代に採用された幹部達よりも、倍率20の採用試験を通過した部下たちのほうが知能が高い。

部下達にとって幹部とは、「規則があるから上席者」であり「規則があるから指示に従う」存在であって、
実力があるから付いていく、尊敬するから付いていく、そう言った存在ではない。
MC協議会の影響力が制度上確たるものになると、幹部の部下に対する影響力が一部(あくまでも一部)失われる。

よって、(知能の低い)幹部達にとってMC協議会は敵だが、国や県から通知や指導が来ているため、
無視するわけにもいかない。MC協議会からの通達事項や資料を部下の救急隊員に渡すが、その資料の
意味が分からない。仲間はずれにされている気分であろう。

被害者は救急隊員。彼らは(彼らの多くは)政治的影響力には興味がない。彼らの目的は救急活動を
なるべくスムーズに行うこと。そして救急救命処置を行うことで自分の存在意義を確認し、
技術的好奇心を満たすことである。(中には他人の命を救うことが目的という隊員ももいる)

MC協議会からは救急隊員の活動に対するプロトコルや指針が次々と送り込まれ、初療の医者からは
その専門分野からの見解で意見を言われ、本部からは「コイツ、ほんとに理解してるのか?」と
その知性と専門性を疑いたくなるような通達が送りつけられ、板ばさみになっている。

そして、残念ながら多くの救急隊員にとって、消防本部よりもMC協議会に対する評価のほうが高い。
しかし、月々の給与を払っているのは消防本部である。

さあ、我々はどこに行くんだろう・・・


20050221
最強の合理主義国アメリカでは、刑罰は単なるペナルティであり、裁判は一つのゲームである。
そこには、事実認定以外に様々な駆け引きが存在し、司法取引も当たり前のように行われている。

一方、我が国で刑事罰を受けるということは全人格の否定であり、法律上の刑罰を終えたあとも
「前科者」という被差別の身分へと降格され、社会的に否定された存在となる。
その為事実認定にはかなりのエネルギーを費やし(手段は間違っているが)、冤罪が1件たりとも
起きてはならないという姿勢で臨んでいる。

しかし、現実に冤罪事件は起きる。十年以上を裁判に費やされ、挙句に冤罪で懲役刑を受けるのであれば、
司法取引で、数年間の懲役刑を受けたほうがはるかに不利益は少ない。

こういったケースはアメリカで現実に起きている。彼らはキリスト教徒であり、最後の審判を
信じているため、法律上の刑罰を受けたことをもって差別したりされたりすることがない。
その為に、いかに刑罰を自分に有利にするかということに全力を注げる。

そもそも、人が人を裁くのに神のような正確さを期待できるはずがないという
気持ちのいい諦めの気持ちも持っている。

疑獄事件が増えても良いとは思わないが、上記のような最悪のケースが存在することを考えると
どちらがいいか、悩む。


20050328
分からないことを自分で調べられる人は、分からないことを他人に聞く人を馬鹿にする。
曰く「辞書を引け」「自分で調べろ」「調べないと自分の知識にならない」

だが、自分にない情報が「どこに書いてあるか知っている」ことと「誰が持っているか知っている」
ことは情報源を知っているという意味では同じであり、「自分は知らない」という点も同じである。

両者はどちらも価値があるか、あるいはどちらも価値がないのではないのか。


20050426
現在の日本と韓国、日本と中国の関係は、それぞれの国の特徴を面白いほど顕著に示している。

日本は、相手の過去を水に流して今から新しい関係を築きなおそうとしている。
これは、日本に古くからある「水に流す」という文化を相手にも密かに期待していることによる。
日本人は、戦前戦後と外国からいわれのない被害を受けた。そのことを水に流しているのに、
なぜ韓国と中国はいつまでも過去にこだわっているんだと言う思いが、根底にある。

残念ながら、「水に流す」という文化は、日本だけのユニークな考え方であり、外国に期待するのは
間違いなのだが、外見が似ている韓国人、中国人には、ついつい期待してしまう。
この点は客観的に見て日本人が悪い。

韓国人は、異常に高いプライドを持っているという点で、ユニークな民族である。
歴史上のエピソードを見ると、そのプライドの高さは少なくとも中世には完成していたようだ。
韓国を含め、現在アジアで高度成長をしている国の共通点は日本による植民地支配を受けたと言うことである。

だが、プライドの高い韓国人はそのことを認めたがらない。むしろ、古代には遅れていた日本を
軽蔑し、自らの自尊心を満足させたい。しかし、GDPを見ても経済水準を見ても明らかに
日本のほうが韓国の上を行く。
結果、日本を叩けるのは過去の過ちである(と、彼らが思い込んでいる)戦争犯罪のみとなる。

中国人は、「中国人」と一くくりにできないほどの膨大な民族が巨大な土地にひしめいている。
かの国では、過去に一度も文化的な政権交代をしたことがない。政権が交代するときには、
旧政権の指導者は殺されるか、国外に追放(実際は逃げ出すわけだが)される。
したがって、指導者にとって民衆が政権に不満を持つことは絶対に避けたい。それは、
直ちに政権交代への布石となり、自らの生命に関ることなのだから。

したがって、怒りを国外に向ける必要がある。そのため、初等教育ではかなりの長時間を割いて
日本への怒りを国民の常識とするプログラムを実施している。
もともと生活水準が低く、怒りのはけ口を探している中国人が今回のような形で日本に向かって
暴徒化するということは、ある意味で政権のそういったプログラムが正常に機能したといえる。

唯一の誤算は、外国人を排斥すると言う行動が日本以外の外国からの批判的な印象を招いたこと。

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さて、おそらくほとんどの人が日本人は過去に朝鮮や中国に戦争犯罪をしたと思っているに違いない。
が、実際には日本が犯した戦争犯罪というのはほとんどゼロと言っていい。
と、僕がここで言っても誰も信じないだろう。興味のある人は、最近書かれた書物でなく、
戦中、戦後に作成された資料を調べてみるといい。きっと驚くと思う。

現在、日本人でも一部の人が戦争犯罪はウソという事実に気づき始めている。
あと数十年の辛抱で、「戦争犯罪なんてなかった」と胸を張っていえる日が来る。
そのときに、弱点のなくなった日本と、韓国、中国との関係がどうなるか楽しみだ。


20060211
消防とか警察って言うのは元祖ベストエフォート型サービスだなぁと
非常に強く感じる今日この頃。


20060303
容疑者の「元少年」という肩書きが気になり始めたらおかしくてしょうがない。
いや、言おうとしてることは分かるけど。

そういえば、会社をやめたら「無職 ○○容疑者」だけど、公務員を辞めたら
「元警察官 ○○容疑者」とか「元市役所職員 ○○容疑者」になるのね。
もちろん、在職中の職権に関係する犯罪以外でですよ。


20060920
救急車の適正利用という命題は、実は単なる非ゼロサムゲームなのではないか。
使えば使うほど得をする(交通費に相当する額)が、全員がそうすると全員損をする。
モラルとか意識付けとかそういう担保のない手段で解決策を導こうとするのではなく、
すべての市民による非ゼロサムゲームだと考えたほうが具体的な解決策が出る気がする。

ただ、この考えが正しいとすると、困ったことがある。
非ゼロサムゲームの代表格である「繰り返し型囚人のジレンマ」の解答はいまだに出ていないのだ。
救急車の利用を適正化するのは不可能なのか。

色々と考え中なので、まとまったら何か書きます。