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WEB消防談話室

日々思うこと

過去分はコチラ

20080110

昨年6月ごろから、ある真面目なサイトのリンクで飛んでくる人の数が急増しまして、
それが落ち着くまで更新を控えていました。
もうそろそろ、「このサイト、更新する気ないみたい」と思われてるでしょうから、
ヒマを見つつボツボツ更新していきます。

別に真面目なサイトから飛んできた人だからといって冗談が分からないとは思わないのですが、
的外れな「事実と違う」指摘メールに疲れてしまっていたので。


20070702
他人に裏切らせないことは出来ないけど、
他人を信じないことなら出来る。
それしか方法がないではないか。


20070624
東京消防庁が救急搬送対象者のトリアージを始めた。
トリアージシート
一般項目の中に「対象症例の悪化を予見させる不安要素がある(はい・いいえ)」という
項目があるのだが、誰の目にも悪化を予見させる要素がない症例で、それでも悪化してしまった
時に、救急隊員は守ってもらえるのか。

少なくとも、ウチの職場でこんなものを作った日には守ってもらえないことが火を見るより明らかで、
誰も「いいえ」に丸を付けないだろう。僕だって付けたくない。

けれど、組織を上げて搬送是非のトリアージを始めたというのは、素晴らしいことだ。
色々と混乱もあるだろうし、トラブルもあるだろうし、もしかしたら、不搬送で不利益を受ける人も
いるかもしれない。でも、それでも、進んで行ってほしい。救急有料化のメドがつかない中、
これ以外に病院前救急を破綻させない方法はないではないか。


20070529
C:\>copy con program.exe
という一行を見せて大爆笑できる時代はもう来ないのでしょうか。
20070319

家族が怪我をした。病気で苦しんでいる。
でもこの程度で救急車を呼んでもいいのかどうか悩んでいるあなたへ。

悩まずに今すぐ救急車を呼んでほしい。
救急車は、むしろあなたのような人のためにあるのだ。


20070201
個人のブログページがどんどん増えている。
個人の情報発信の方法のひとつとして、とてもすばらしいものだと思うのだが、
トラックバックが全然付いておらず、コメントが沢山付いているページを見ると、
「BBSでいいじゃん」とか考えてしまう。
実際にブログページを作ってる人はどう感じているんだろう。


20061027
Firefoxだと、医学用語の検索と掲示板が正常に動かないことが判明。
FORMで送信するときの文字セット指定がなぜかうまくいかない。
CUI時代に散々悩まされた文字セット問題でまた悩む日が来るとは思わなかった。

プレーンテキストで送信してるのが原因のような気がして、医学用語の検索プログラム
の送信フォームをMultiformにしたらなぜか正常に動いた。
BBSプログラムもそのうち修正します。しばらくの間、IE以外のブラウザから
送信すると致命的に文字化けします。

そもそもサーバがWINDOWSというのが一番の問題だという気がしないでもない。


20061023
ちょっと面白かったこと。

Yahoo!検索で、「Vfib.net」を検索すると
検索結果の1番はトップページになる。

「Vfib」を検索すると
悪魔の辞典が1番になる。

「WEB消防談話室」を検索すると
トップページが1番になる。

「消防談話室」を検索すると
笑い話が1番になる。

どういうカラクリなのかはよくわかりません。


20061002
必要もないのに救急車を呼ぶのは非常に腹立たしいけど、
必要なのに呼ばないよりははるかにマシ。

救急車を呼ぶかどうか、おとうちゃんに聞かないと判断できない人とか
昼間から具合が悪いのに「様子を見ていて」病院がなくなる夜中になってから
呼ぶ人とか。

オーバートリアージの原則からすると、そういう困った人をなくすには
軽症のタクシー救急でもにこやかに対応して、どんどん救急車を呼んでもらうほかない。


20060920
救急車の適正利用という命題は、実は単なる非ゼロサムゲームなのではないか。
使えば使うほど得をする(交通費に相当する額)が、全員がそうすると全員損をする。
モラルとか意識付けとかそういう担保のない手段で解決策を導こうとするのではなく、
すべての市民による非ゼロサムゲームだと考えたほうが具体的な解決策が出る気がする。

ただ、この考えが正しいとすると、困ったことがある。
非ゼロサムゲームの代表格である「繰り返し型囚人のジレンマ」の解答はいまだに出ていないのだ。
救急車の利用を適正化するのは不可能なのか。

色々と考え中なので、まとまったら何か書きます。


20060303
容疑者の「元少年」という肩書きが気になり始めたらおかしくてしょうがない。
いや、言おうとしてることは分かるけど。

そういえば、会社をやめたら「無職 ○○容疑者」だけど、公務員を辞めたら
「元警察官 ○○容疑者」とか「元市役所職員 ○○容疑者」になるのね。
もちろん、在職中の職権に関係する犯罪以外でですよ。


20060211
消防とか警察って言うのは元祖ベストエフォート型サービスだなぁと
非常に強く感じる今日この頃。


20050426
現在の日本と韓国、日本と中国の関係は、それぞれの国の特徴を面白いほど顕著に示している。

日本は、相手の過去を水に流して今から新しい関係を築きなおそうとしている。
これは、日本に古くからある「水に流す」という文化を相手にも密かに期待していることによる。
日本人は、戦前戦後と外国からいわれのない被害を受けた。そのことを水に流しているのに、
なぜ韓国と中国はいつまでも過去にこだわっているんだと言う思いが、根底にある。

残念ながら、「水に流す」という文化は、日本だけのユニークな考え方であり、外国に期待するのは
間違いなのだが、外見が似ている韓国人、中国人には、ついつい期待してしまう。
この点は客観的に見て日本人が悪い。

韓国人は、異常に高いプライドを持っているという点で、ユニークな民族である。
歴史上のエピソードを見ると、そのプライドの高さは少なくとも中世には完成していたようだ。
韓国を含め、現在アジアで高度成長をしている国の共通点は日本による植民地支配を受けたと言うことである。

だが、プライドの高い韓国人はそのことを認めたがらない。むしろ、古代には遅れていた日本を
軽蔑し、自らの自尊心を満足させたい。しかし、GDPを見ても経済水準を見ても明らかに
日本のほうが韓国の上を行く。
結果、日本を叩けるのは過去の過ちである(と、彼らが思い込んでいる)戦争犯罪のみとなる。

中国人は、「中国人」と一くくりにできないほどの膨大な民族が巨大な土地にひしめいている。
かの国では、過去に一度も文化的な政権交代をしたことがない。政権が交代するときには、
旧政権の指導者は殺されるか、国外に追放(実際は逃げ出すわけだが)される。
したがって、指導者にとって民衆が政権に不満を持つことは絶対に避けたい。それは、
直ちに政権交代への布石となり、自らの生命に関ることなのだから。

したがって、怒りを国外に向ける必要がある。そのため、初等教育ではかなりの長時間を割いて
日本への怒りを国民の常識とするプログラムを実施している。
もともと生活水準が低く、怒りのはけ口を探している中国人が今回のような形で日本に向かって
暴徒化するということは、ある意味で政権のそういったプログラムが正常に機能したといえる。

唯一の誤算は、外国人を排斥すると言う行動が日本以外の外国からの批判的な印象を招いたこと。

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さて、おそらくほとんどの人が日本人は過去に朝鮮や中国に戦争犯罪をしたと思っているに違いない。
が、実際には日本が犯した戦争犯罪というのはほとんどゼロと言っていい。
と、僕がここで言っても誰も信じないだろう。興味のある人は、最近書かれた書物でなく、
戦中、戦後に作成された資料を調べてみるといい。きっと驚くと思う。

現在、日本人でも一部の人が戦争犯罪はウソという事実に気づき始めている。
あと数十年の辛抱で、「戦争犯罪なんてなかった」と胸を張っていえる日が来る。
そのときに、弱点のなくなった日本と、韓国、中国との関係がどうなるか楽しみだ。


20050328
分からないことを自分で調べられる人は、分からないことを他人に聞く人を馬鹿にする。
曰く「辞書を引け」「自分で調べろ」「調べないと自分の知識にならない」

だが、自分にない情報が「どこに書いてあるか知っている」ことと「誰が持っているか知っている」
ことは情報源を知っているという意味では同じであり、「自分は知らない」という点も同じである。

両者はどちらも価値があるか、あるいはどちらも価値がないのではないのか。


20050221
最強の合理主義国アメリカでは、刑罰は単なるペナルティであり、裁判は一つのゲームである。
そこには、事実認定以外に様々な駆け引きが存在し、司法取引も当たり前のように行われている。

一方、我が国で刑事罰を受けるということは全人格の否定であり、法律上の刑罰を終えたあとも
「前科者」という被差別の身分へと降格され、社会的に否定された存在となる。
その為事実認定にはかなりのエネルギーを費やし(手段は間違っているが)、冤罪が1件たりとも
起きてはならないという姿勢で臨んでいる。

しかし、現実に冤罪事件は起きる。十年以上を裁判に費やされ、挙句に冤罪で懲役刑を受けるのであれば、
司法取引で、数年間の懲役刑を受けたほうがはるかに不利益は少ない。

こういったケースはアメリカで現実に起きている。彼らはキリスト教徒であり、最後の審判を
信じているため、法律上の刑罰を受けたことをもって差別したりされたりすることがない。
その為に、いかに刑罰を自分に有利にするかということに全力を注げる。

そもそも、人が人を裁くのに神のような正確さを期待できるはずがないという
気持ちのいい諦めの気持ちも持っている。

疑獄事件が増えても良いとは思わないが、上記のような最悪のケースが存在することを考えると
どちらがいいか、悩む。