まじめ話
救急車利用の適正化 解
まだお読みでない方は、まず救急車利用の適正化をお読みください。
●基本的な考え方
このゲームにおいて、救急車がなくなることは、指令課員側プレイヤーにとっての不利益ではない。よって、指令課員側のプレイヤーにとっての最良の戦術は、救急要請に対して全て救急車を出すことである。現実的にも、律儀に全ての救急要請に救急車を出した結果、救急車がなくなったとしても、事務的に対応した個々の指令課員が具体的な責任を取らされることはない。
よって、このゲームは事実上、一般市民側プレイヤーによる非ゼロサムゲームと考えることができる。
●非ゼロサムゲームとは(非ゼロサムゲームをご存知の方はこの項を飛ばして読んでください)
ゲームの結果がはっきりと「勝ち」「負け」に分かれ、勝ちと負けの合計が等しくなるゲームをゼロサム(零和)ゲームという。例えばオセロのリーグ戦では、個々の試合に必ず「勝ち」と「負け」が存在し(引き分け勝ち制の場合)、「勝ち点」が多いプレイヤーが最終的に勝利する。また、「引き分け」が存在した場合、単純に勝ちと負けの中間の意味を持つ。
例えば、2人のプレイヤーが4回試合をし、勝つと2点、負けると0点、引き分けで1点を得られるとすると、個々の試合の結果にかかわらず、最終的に両プレイヤーの合計点数は8点となる。このため、各プレイヤーは限られた8点の点数をより多く自分のものにしなくてはならないため、負けよりは引き分け。引き分けよりは勝ちを目指すことが、最終的な勝利を目指すための唯一の戦術となる。
このようなゲームに対し、非ゼロサム(非零和)ゲームの世界では、「勝ち」と「負け」の合計が一致しない。「囚人のジレンマ」というゲームでは、二人の囚人に対して次のような司法取引が持ちかけられる。
・「このまま2人とも黙秘を続ければ2人とも1年の懲役になる」
・「自白すれば直ちに釈放されるが、相棒は5年の懲役になる」
・「2人とも自白すれば、共に3年の懲役になる」
直ちに釈放を5点、1年の懲役を3点、3年の懲役を1点、5年の懲役を0点とした場合、
2人とも黙秘を続ければ3点+3点で合計が6点になるのに対し、2人とも白状した場合には1点+1点の2点しか得られない。どちらか一方が白状した場合には5点+0点の5点である。
黙秘することを「協調」、自白することを「裏切り」とした場合に、2人のプレイヤーが10回試合をすると、
互いに全て協調した場合→3点×10=30点
互いに全て裏切った場合→1点×10=10点
自分が裏切り相手が協調が5回、その反対が5回の場合→5点×5+0点×5=25点
と、個々の勝ち負けの数が等しくても合計で得られる点数が変化する。
●囚人のジレンマの戦術(囚人のジレンマの戦術をご存知の方はこの項を飛ばして読んでください)
一見、互いに協調した方が多くの点数を取れるように感じるゲームであるが、1回のゲームを考えるとそうではないことがわかる。
相手が協調した場合、自分が協調すれば3点、自分が裏切れば5点が得られ、
相手が裏切った場合、自分が協調すれば0点、自分が裏切れば1点が得られる。
つまり、相手の動向にかかわらず、自分は裏切ったほうが常に有利になるのだ。
●繰り返し型囚人のジレンマの戦術(ご存知の方はこの項を飛ばして読んで下さい)
ところが、このゲームを複数回繰り返す場合には戦術が変わってくる。「さっき裏切ったから」という前回の相手の動向にあわせて、今回の自分の行動を変化させられるのだ。これは、相手も同様である。つまり、10回の試合を全てお互いに協調すれば、30点得られるところ、ある回で自分の利益を考えて裏切り行動に出ると、次の回からは相手も裏切り行動に出る可能性が高くなるということだ。
このような、「繰り返し型囚人のジレンマ」では、自分は協調し、相手が裏切った場合にはその次の回で裏切るという「しっぺ返し」といわれる戦術が優秀である。
ただし、最後の10回目だけは常に裏切ったほうが有利であるため、勝利を目指すと10回目には全てのプレイヤーが裏切りに出る。ということは事実上9回目で勝負が決まるため、9回目も必ず裏切ることになり・・・・と、初回から裏切ることが導き出されてしまう。
●無限繰り返し型囚人のジレンマの戦術(ご存知の方はこの項を飛ばして読んで下さい)
繰り返す回数が不明の囚人のジレンマでは、前述の「しっぺ返し」戦術がもっとも優秀である。個々の試合でしっぺ返し戦術に勝つことは可能だが、複数のプレイヤーとの総当たり戦では、しっぺ返し戦術が常に勝利する。 スポーツやボードゲームではゼロサムゲームに分類されるものが多いが、現実社会での他人との駆け引きややりとりは、無限繰り返し型囚人のジレンマに分類される。互いに信頼し、協調しあえばスムーズに進む取引も一度裏切ったために現金取引しかできなくなってはお互いに損をしてしまう。
●非ゼロサムゲームとしての救急車利用適正化問題
救急車利用の適正化問題は、現実社会での非ゼロサムゲームと考えることができる。このゲームで協調とは重症の際にのみ救急車を呼ぶことであり、裏切りとは軽症でも救急車を呼ぶことである。このゲームで、個々のプレイヤーがもっとも避けたい事態は、他のプレイヤーが常に裏切って自分だけが協調し、いざ重症の事故の時に救急車がなくなってしまう事態である。
もっとも望ましいのは他のプレイヤーが全て協調し、自分だけが裏切ることである。プレイヤーが多ければ多いほど「自分一人ぐらい」裏切っても救急車が足りなくなることはない。
このゲームで、全てのプレイヤーが協調した場合、ゲーム内の死亡者はいなくなり、その代わりに支払う精神的、時間的コストと、場合によっては金銭的コストが増加する。死亡することと精神的、金銭的コストの支払いを考えれば、1件の死亡はコストの支払いの数百倍から数千倍に相当する不利益である。互いに裏切り1点を手に入れるよりも、互いに協調して1000点を手に入れるほうが遥かに望ましい。
ところが、このゲームでは1対1の対戦の繰り返しではなく、1対複数の不規則な繰り返しであり、互いにどのような行動を取っているのかがフィードバックされない。自分の取った行動も次の相手の行動には影響しないため、戦術を考える上では1回のみの対戦と同様となり、それを何回も繰り返す形になる。
1回だけの対戦であれば、他のプレイヤーがどのような戦術を取ったとしても常に裏切ったほうが自分にとって有利になる。自分が協調することでゲーム内を「よい社会」にしようと思っても、その行動は他のプレイヤーの行動を変えることはできない。結果、勝利を目指す全てのプレイヤーは常に裏切ることとなり、救急車が不足し、死亡者数が増加する。
●ゲームバランスの変更
このゲームで救急車を呼ぶメリットは、重症の場合と軽症の場合で異なる。重症の場合には「死亡を避ける」という大きなメリットであり、軽症の場合には金銭的、時間的・精神的コストの支払いを避けるという小さなメリットである。
軽症の場合に得られる小さなメリットをなくすためには、自分で病院に行く、あるいは様子を見ることとした場合に、金銭的、時間的、精神的コストの支払いを無くすことが考えられる。
このようなゲームバランスの変更は、ゲーム内では可能だが、現実社会では自分で病院に行けば交通費がかかり、病院を探すのに苦労し、病院に行かず様子を見ていれば不安な時間を過ごすことは避けられない。
もう一つの方法として、救急車を呼ぶことに対して重症の場合のメリットよりも小さく、軽症の場合のメリットよりも大きなデメリットを追加することで、個々のプレイヤーが軽症の事故では救急車を呼ばなくなる可能性がある。もっとも単純なのは、救急車を呼ぶことに対して金銭的コストを課すことだが、これは設問の条件で禁止されているし、現実社会でも救急車の有料化の目途は立っていない。
金銭的コストを課すことに準じて、時間的又は精神的コストを課す方法がある。病院に行かなくて済むような軽症であれば「様子を見ていたほうがマシ」、自分で病院に行ける程度の事故であれば「自分で行ったほうがマシ」程度のコストである必要がある。もちろん「死んだほうがマシ」程度のコストであってはならない。
●ゲームバランスの変更から導き出せる「救急車利用の適正化問題」
救急車を呼ぶことに精神的コストが必要であるという現象は、すでに昔から起きている。救急車を呼ぶと近所中の住民が集まってきてしまうとか、「この程度で救急車を呼んでは申し訳ない」と感じることは、自然に発生した精神的コストである。この精神的コストが相対的に減少してきていることが、軽症であっても躊躇なく救急車を要請する一因となっている。ご近所つながりが強い地域と弱い地域で、救急要請件数の違いが大きいことは、この精神的コストの支払いがあるかないかという考え方で説明できる。
現在、「救急車の適正利用について」の普及啓発を行う動きがあるが、これは救急車が足りなくなっている現状を市民に知ってもらおうという目的と、軽症で救急車を呼ぶことに精神的コストをかけようという2つの戦術があるとみることができる。救急車が足りなくても十分にあっても、個々の一般市民にとっては軽症であろうと重症であろうと救急車を呼んだほうが利益であり、また課そうとしている精神的コストは全ての市民に均等にはかからない。もともと躊躇なく救急車を呼べる市民は普及啓発を受けても精神的コストを負担に感じることはないし、普及啓発を受けて精神的コストを感じる市民は、元々受けていた精神的負担をより大きく感じることになる。
これに対して時間的コストは、「すぐに診てもらえるけど清算は一番最後」や「事後手続きが面倒くさい」(これは精神的コストにもなるか?)を導入すれば利用者全てに均等に与えることができる。これらのコストを課すことは、重症患者の要請を躊躇させることもなく、低所得者に金銭的負担をかけることもなく、救急車利用適正化問題を解決させる可能性がある。
転院搬送のみを有料化するとか、タクシーよりも安い金額の料金を課すなどの、中途半端な有料化議論よりも、遥かに現実的に軽症救急を減らせるというものだ。
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